2017年4月下旬からバルト三国にあるリトアニアのシャウレイ、カウナス、ビリニュスと滞在しました。
リトアニアの位置は北欧と東欧の狭間にあるような気がします。
リトアニアを知ったのは旅する3週間前でしたが、未知な国だったゆえ、楽しむ事が出来ました。
今まで旅する国は徹底的に調べつくしましたが、何も知らないまま旅をするのも良いと改めて思いました。
リトアニアで一番有名な日本人
シャウレイのカフェで一人でコーヒーを飲みながら歩く人を人間ウォッチングしていました。
すると、隣に座っていたリトアニア人の女性に話しかけられました。
彼女にリトアニアで一番有名な日本人は誰ですかと聞くと・・・
「スギハラチウネ。それと・・・ムラカミハルキとアベコウボウ」と答えが返ってきました。
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。「東洋のシンドラー」などと呼ばれることがある。 |
杉原 千畝は反町隆史が主演したドラマをレンタルしたので知っていました。
これを見た時は、いつもの反町だなと思っていました。
杉原千畝・記念館
グーグルマップでは【杉原千畝記念館】といれても出てきませんでした。
首都・ヴィリニュス(Vilnius)から電車で行きました。
二階建てで綺麗で居心地が良く最高。
歩いて10分ぐらいの山の上の民家の中にありました。
入場料・3ドルを払って入るとお客さんは自分と紳士二人でした。
そして、スタッフの人が15分の杉原 千畝ヒストリーの映像を流してくれました。
日本から離れた東欧とも北欧とも言えない異国の国で、一人の日本人が活躍したのを改めて知り、一人で感動しました。
帰りはカウナスの街を歩きました。
そして、レトロなバスがあったので乗りました。
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